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Interview Collection by Coquette — 尾形アツシ RSS



森の中、陶芸作家に会ってきた(尾形アツシ) ~前編~

兵庫県朝来市へ移住してから作家ものの器を取り扱うようになった。兵庫県朝来市では築100年の古民家に暮らしながら、ショップを運営しているということもあって、これまで以上に、私たちが好きな作家さんや暮らしの中に取り入れてきた器たちを皆さんにご紹介する機会を積極的につくっていこうと思っている。 今回は、奈良県宇陀市にある陶芸作家の尾形アツシさんの工房を訪問した。 尾形さんの器は、個性的である上に暮らしに馴染むあたたかさを持っている。作家ものの器をご紹介できるようになれば、いつか必ず取り扱いたいと思っていた作家さんだ。 私たちがお取り扱いする暮らしの道具は、作り手の人となりまで見えるくらいに詳しく紹介することが多い。それは、便利だからとかおしゃれだからとかそういった都合だけをその道具に求めている訳ではないから。いや、暮らしの道具ってそこまで何かを求めるようなものではなく、ただ毎日をともに過ごすいわば相棒のようなもの。使い込むうちに自分なりの暮らしが道具そのものにも備わってきて、しだいに無くてはならない存在になる。 尾形アツシさんの器も、私たち家族にとってはそんな存在なのだ。尾形アツシさんの工房は、奈良県でも山間部にあり、自然豊かな場所だ。古い土壁の建物の工房の隣には薪釜がある。尾形さんの力強い土の持ち味。薪釜がゆえの釉薬のとびやひび割れの器が、日々の食卓になんともいえない暖かさや深みを与えてくれる。あの器の持ち味はこの薪釜から生み出されているんだと思うと感動もひとしおだった。尾形アツシさんは、村上隆氏のカイカイキキギャラリーでの展示会や海外での個展開催も多い。近年、人気の陶芸作家として注目を浴びておりきっとファンの方も多いかもしれない。 尾形さんの魅力は、もと雑誌編集長という経歴にもある。30代なかばで前職を辞し、陶芸の道に入った。人生の途中で新たな世界に挑戦した人というのはやはり魅力的だ。今回の訪問で、これまで尾形さんが歩んでこられた道のりを含めて様々なお話を伺うことができた。この日の訪問記は、後日、また詳しくお話しするとして、尾形アツシさんの器に興味を持たれた方は、ぜひ暮らしの道具Coquetteの店頭で手に取ってみていただけたらと思う。   工房訪問-尾形アツシ ~後編~ はこちら。

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森の中、陶芸作家に会ってきた(尾形アツシ)~後編~

奈良から三重へ向かう山中に尾形アツシさんの工房はある。新緑の林の中に建つむき出しの土壁。ひなびた古い木造倉庫。この日は朝から細い雨が降っていた。 尾形さんは、30歳代なかばにしていわゆる脱サラをして陶芸の道を選んだ。誰もがぶち当たるミッドライフクライシスというやつだったのかもしれない。瀬戸の焼き物の学校に入り、陶芸家としての道をきっちり歩いてきたという印象だが、やはり苦労の時代もあったらしい。それまでは、出版業界で雑誌の編集長をしていただけあって、ジャパンカルチャーに触れる機会はもともと多かった。30代、“東京を離れて出来ること”をいろいろ探してたとき、瀬戸の陶芸に出会った。「かみさんも賛同してくれて、なかなか立ちゆかない頃をサポートしてくれてね。」尾形さんは、今では押しも押されぬ現代陶芸のトップランナーのひとりだが、もちろん、それ相当の苦労の時代があったに違いない。そんな下積み時代のことを臆面もなくさらっと語ってくれるところがまた、尾形さんの魅力のひとつなんだ思う。工房となりには、薪窯がある。作品によって、薪窯、ガス窯、電気窯など様々に使い分ける。薪窯が出来る場所を探して、日本全国さまざま探し回って、この奈良県の山中に落ち着いた。「もっと不便な山奥で自給自足みたいな暮らしをしながら窯を焚くなんていう陶芸家もいる。そういうのに憧れたこともあるけど、暮らしの器を作るわけだから、ある程度普通の暮らしができてないとって思ってね。」ここ奈良県なら、電車や車で1時間もすれば大阪だ。普通に暮らせる場所だ。芸術家って敷居がたかいイメージだったけど、尾形さんはとても気さくな優しい江戸っ子という感じ。「焼き物は芸術じゃないよ。暮らしの道具だからね。」と尾形さんは言う。尾形さんの器の魅力は、実際に使ってこそより深く感じられるようになる。そこが生活陶芸と鑑賞陶芸の違いなんだと思う。尾形さんの器は、暮らしの道具だ。だから、たとえば器を手に取って、あるいはテーブルに置いて眺めたとき、器になにか余白のようなものを感じる。そこに、料理が盛り付けられた時はじめてしっくりくる。さらにいうと、空の器を重ねて置いてある様なんかが、これまたなんとも良いのだ。特に刷毛目の鉢あたりの器がさりげなく重ねて置いてある様は、存在感というか温かみがなんとも良い。生活陶芸の器は、使ってなんぼだ。だからといって、何も盛られていないと魅力がないかというとそうではない。尾形さんの器は、食器棚という生活のワンシーンでも様になる。つまり、バランスが良いのだ。コケットは、実際に使って、心から良いと思ったものを販売している。暮らしの道具は、日々に寄り添うものだ。使い込むうちに、自分の暮らしに馴染み、使い手に馴染む尾形さんの前職は、サブカル系の雑誌編集長だ。そのせいか、話の引き出しが多く、話していてとても面白くてついつい時間を忘れてしまう。物書きの仕事っていうのは、基本的に人が好きなのだ。人に会って、そこから勉強したことをまた自分へフィードバックして、自分のものにして文字にしていくことで読み手の心に刺さるものになる。 芝居とかサブカルチャーの世界っていうのは自分の内面的な財産になる。 そういう人生経験みたいなものが作品に生きてくるんじゃないだろうか。作品的にキラッとするものを持っている作家さんというのは、人生経験が豊富なことが多い。尾形さんはいう。「暮らしの道具をつくるのには暮らしを知らないと作れない。暮らしってなんなの?っていうことを考えながら、ひとつひとつ自分の身に染みついているかどうかで作品が違ってくる。器っていうものは、生活を彩るものだっていうことを意識してる。」最初は様々な陶芸に挑戦したし、いろんな物をあさるように作っていた時期もある。けれど、だんだん整理していま自分のスタイルを見つけた。それには、編集長時代の経験が活かされているのかもしれない。「以前ね、村上隆さんと仕事したとき、あの方は現代美術だったんで、そういう畑の人とやってみて、あれは、俺自身こっちで食っていけるかって試された場面だった。やっぱりね、あそこに行くには文脈が違うっていうか書き方が違うっていうか、もっと自分だけの世界に入り込んでないと。器じゃだめだと思ったね。」当時、村上隆氏のギャラリー・カイカイキキの個展で、自らの背丈以上もある大きな壺をメインに発表する機会があった。尾形さん自身、自分を試された場面とおっしゃるとおり、この時を期にまた一つ“壺”という、尾形さんの代名詞ともいえる分野ができた。たしかに、尾形さんの“壺”はなんとも魅力的だ。それは、前述した暮らしの器の魅力とはまた違った、少し芸術陶芸に近寄ったものだ。陶芸の世界の入り口に立っている私は、壺の魅力が分かるまでにはぜんぜん至っていない。「尾形さん、壺って売れるんですか?」恥ずかしげもなく、アホみたいな質問をした。「うん、大きいものは事業所の玄関とかに飾る場合が多いけど、高さ30~40センチくらいの小さいものだと、都会のマンション暮らしの人なんかには結構人気なんですよ。」壺を飾る。これこそ、暮らしをひとつセンスアップするにはうってつけのツールだった。実際、コケットの古民家に持ち帰った尾形さんの壺を飾ってみた。 そりゃあもう、さりげなく。いいじゃないの!たしかに良い。 尾形さんの壺を眺めながら、今夜も一杯やりますか。尾形アツシ1960 東京都生まれ1995 愛知県立窯業高等技術専門学校入学1998 愛知県瀬戸市にて工房を構え独立2007 奈良県宇陀市榛原に薪窯を構え工房移住※撮影場所:尾形アツシ工房、一如庵(奈良県宇陀市) 取材:鴨谷香

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